「トップインタビュー」INTER
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まずは創業について教えてください。

横瀬武夫(以下横瀬) 創業は1994年。29歳の時ですが、16歳から親父が営む和牛料理の専門店で手伝いをしていました。
牛の内臓はあまり流通しておらず食べる人も少なかった当時、牛のアタマからしっぽまで食べられるとう斬新な店でした。上等な白子のようだけど食感はコリコリしている牛の脊髄から始まり、脳みそは酒蒸しにして甘酢味噌で味わい、タン、心臓、レバーなどの内臓を刺身で楽しんだ後に、ヒレやシャトーブリアンを炙り焼き、最後にテールスープでシメる。
そんなところで16歳から28歳までやっていたわけですから、肉のことは大体分かります。
やぶ屋の人気メニューとなったテールスープは、親父から受け継いだ自慢の味です。

お父様の店から独立したということですか?

横瀬 実際には、やぶ屋の前にも店を出しています。25歳の時に小学校からの友人と二人でメンパブを始めました。
友人というのが現副社長であり親友の辻です。二人とも若かったですから(笑)、「お金を稼ぎたい・お酒を飲みたい・女性にモテたい」そんな単純な理由です。昼間僕は親父の店で、辻は勤めていた土建業で働き、夜になると自分たちの店に立つというダブルワークでしたが、みんなで騒ぎながら楽しくやっていました。
自分たちが楽しめる場所を作った感じですね。
それが3年続いたところでバブルが崩壊したんです。同時に親父の店の売上が低迷し、僕は店を出ることになりました。
辻も土建業とは別のことをしようと考えているようだったので、二人で店をやってみないかと誘ったんです。
そうして29歳の時に始めたのが「やぶ屋」です。

「メンパブ」から「やぶ屋」とは、全く方向性が違いますが。

横瀬 メンパブを3年間やってみて、これは長く続けられる業態ではないと分かっていたので、事業としてやるなら息の長い居酒屋がいいと思いました。
「自分たちも楽しめる場所」という意味では、居酒屋も同じです。
僕は、実は居酒屋が大好きなんですね。それで不動産屋に紹介してもらったのが、千種区・中区・中村区で一番安い物件。
今のやぶ屋の少し東、春岡通りの手前にある戸建てで家賃7万5000円。カウンター7席、テーブル12席、全部で20名も入らない小さな店でした。
看板メニューは3つ。1本80円だけど、ちゃんと手串打ちして炭で焼く本格的な「焼き鳥」。
まだ広く知られていないけどめちゃくちゃ旨くて飽きない味の「味噌とんちゃん」。
そして今でいうこの地域ならではの「名古屋めし」。
これで勝負しようと。やぶれかぶれ精神で突き進むんだと、店名は“やぶれかぶれ”の「やぶ屋」になりました

若者たちが支持する居酒屋にSIJISURU
IZAKAYA

「やぶ屋」1号店の反響はどうでしたか?

横瀬 予想以上のスタートダッシュでした。
当時の今池は飲食店が多いにも関わらず深夜12時以降も開いている店はなく、今池にありそうでなかった店ということで最初から繁盛しました。
週末は近所のライブハウスから流れてくる客で大賑わい。もちろんバンドマンたちも通ってくれました。
工事ができずにそのままになっていた2階は、彼らがブルーシートを持ち込んで座り飲みし始めたので、すぐに改装してバンドマンたちの打ち上げの場になりましたね。

やぶれかぶれで突き進んだお店が大繁盛したとなると、すぐに2店目をオープンしたのですか?

横瀬 店が繁盛しているのを大家さんが見ていて、隣の空き家も借りてくれないかと言われていましたが、考える時間もなく目の前の店をやり切るので精一杯の日々でした。
オープンから辻と二人で1年間休みなしで働き詰めた後、1日だけ休みを取ることにしました。
その1年振りの休みの日に、僕が車で大事故を起こしてしまったんです。
お店は3カ月も休む事になりました。それなら店が休みの間に自分たちで隣を改装して店を拡張しようと。
辻は毎日コツコツと店づくりをしてくれ、僕も病院を抜け出しては手伝いました。そんな時にメンパブの頃からの知り合いが病院に訪ねてきて、「退職したからやぶ屋に入りたい」と言ってきたんです。
そうして退院後には3人で、拡張した店でのリスタートとなりました。
その後も2人増えて5人になったので、もう一店舗できるねってことになり、すぐに2店目を新栄でオープンしました。
最初の頃のやぶ屋は焼き鳥がメインでしたが、ほとんどのお客様が七輪の煙の中で味噌とんちゃんを食べるようになり、やぶ屋を代表する名物になっていきました。

こうして現在の「やぶ屋」が出来上がっていくのですね。

横瀬 当時はやぶ屋のターゲットも分からずにやっていました。
ただ「2000円握りしめていっぱい飲みにおいでよ!」と言える店が欲しくて、それならお金が無くてもいっぱい飲みたい若者たちがいる大学エリアに出店しようと思いました。
けれど商売を考えたら単価2000円だと200席はないと成り立たないわけです。そこで大学のある塩釜口に60坪の倉庫を借りて、自分たちでペンキを塗ってロフトを作り、200名が入れる店にしたんです。これが大当たりでした。
当時は大手チェーン居酒屋しかなかったので、若い人から親しまれる店として支持されました。
そんな矢先、東京で若者たちの無理な飲酒による事故が起きてしまい、若者をターゲットにしづらくなっていきました。

時代感を大切にした店づくりJIDAIKAN
TAISETSU

バンドマンや学生など若者に支持されてきた「やぶ屋」が、時代に合わせて次のステップへと進むわけですね。

横瀬 当時はそこまで意識して考えていませんでしたが、今思うと自分の経験や直感から自分の中でのペルソナがあったように思います。
それとその時々の時代感から、出店計画だったり業態だったりを判断していたのだと。2000年以降は1年に1店舗、2005年からは2〜5店舗のペースで出店を重ね、現在14店舗を展開しています。
名古屋の飲食店が東京進出を始めた15年前には我々も東京に出て、渋谷、赤坂、六本木、歌舞伎町など7〜8店舗を出して、そこでもきちんと結果を出しました。
東京に出たからこそ、また「やぶ屋」の原点に戻ろうと思えたのかもしれません。

「やぶ屋」の原点に戻った店とは?

横瀬 2011年にオープンした「尾毛多セコ代」は、本名を逆さ読みした店ですが(笑)、やぶ屋をもっとシンプルに分かりやすくしたものです。
ダクトの無い店内は煙でいっぱいですが、煙モクモクの中でお客様は喜んで味噌とんちゃんをつついてくれます。これも今の時代に合っているのでしょう。
料理もシンプルにしていて、メニューは名物の味噌とんちゃんと、親父の店にいた時から得意だった自慢のテールスープ、そしてお気楽な一品料理だけ。その代わりにパンチャンコーナーがあります。
パンチャンとは韓国でおかずのことで、美味しいおかずを提供しようと6種のパンチャンをサラダバースタイルにしたもの。
これもお客様に好評いただいて、他のやぶ屋でも展開するようになりました。

「やぶ屋」本店も移転時に大きく変わったそうですね。

横瀬 2015年に建物の老朽化で本店を移転することになった時、「やぶ屋は若い頃によく行った」という声を聞くようになりました。
そこでこの人たちに向けた店、つまり40〜50代になった昔のお客様もまた戻って来られるやぶ屋に変革しようと考えました。
このことは、これまでのやぶ屋を見直すきっかけにもなったわけですが、大人も満足する素材へのこだわりは、お客様と同じように年齢を重ねてきた自分自身のこだわりにもなっていました。
南知多の新鮮な魚を提供したいという以前からの想いをカタチにする時がきたと思いました。

名物味噌とんちゃんに、鮮魚メニューが加わったわけですね。

横瀬 獲れたての新鮮な魚介を豊浜漁港で週2回買付しながら、篠島の契約漁師からも仕入れていますが、仕入れを毎日でなく週2回にしているのも理由があります。
仕入当日は鮮度がよく、弾力のあるコリコリの食感を楽しめます。それが2日目になると食感を残しながらも味に深みが増してくる。そして3日目には食感がなくなる代わりに素材の甘みが前面に出てきます。それぞれに旨さがあるんですね。
「鮮度がいい=一番美味しい」とは限らない。
いろんな味わいがあることも知ってもらいたいと思っています。この流れから海鮮大衆酒場、おおぞね鮨、イザカヤヤスイなど、さらに新しい展開ができました。

 

みんなにやさしい人情居酒屋NINJYO
IZAKAYA

様々な展開が受け入れられるのも「旨い味噌とんちゃんを出す店」という柱がしっかりしているからでしょう。

横瀬 味噌とんちゃんへのこだわりはどこよりも強いです。
味噌とんちゃんは名古屋の歴史ある料理で、地元育ちの自分にとっても馴染みのある大好きな料理でしたが、創業当時はまだあまり知られていませんでした。
それなら自分の店のメニューにして受け継いでいけたらいいなという想いもありました。
味噌ダレにおいては、創業以来ずっと改良を繰り返し、とんちゃんに抜群に合う旨さを追求し続けています。素材となるとんちゃんは朝挽きの新鮮な三河豚を使用。
あとは美味しくなる焼き方をお伝えすれば、めちゃくちゃ旨いとんちゃんが食べられます。今では名古屋めしとして認知されるまでになって本当に嬉しいです。

味噌とんちゃんという食文化を広めたやぶ屋。ここで改めてコンセプトを教えていただけますか?

横瀬 日本の古き良き居酒屋に象徴される人情を大切にしたいと思っています。
僕自身がその人情に触れた忘れられない経験があります。
18歳の頃に通っていた居酒屋で、僕の顔を見るなり「どうしたの?大丈夫?」と、風邪をこじらせていた僕の様子に気づいてくれた店のおばちゃん。「今日はお酒はあかんわ。あんたに出せるのはこれだけや。これ飲んだら帰って早く寝るだよ。」と玉子酒を出してくれました。
これぞ人情だと思います。
人が温かくて、料理が美味しくて、おなかいっぱい食べても安上がり。
そんな昔ながらの居酒屋です。そしてお客様だけでなく、スタッフや業者の方など、やぶ屋に関わるすべての人に対して思いやる気持ちをもって向き合うことを心がけています。

やぶ屋でも同じ店が2つとないのは、スタッフを思いやりその個性を尊重した店づくりをしているからなのですね。

横瀬 僕にとってお店は、体験しながら成長するところです。
同じやぶ屋でも地域や店長、スタッフによってそれぞれ個性があります。マニュアルを置いていないので、自分たちで考えて動くようになるんですね。それが成長につながると確信しています。社員の得意分野や個性を活かし、働いている人にフォーカスした店づくりをすることで、スタッフが輝いている、活躍できる場所にしていきたい。
それがどんなお店になろうと、コンセプトの真ん中にあるのは「人情居酒屋」です。
逆にここがブレなければ、どんな店になってもいいと思っています。やぶれかぶれ精神で、失敗を恐れずに行動していく社員たちの背中を押していきたい。
そして日本に古き良き居酒屋を広め、次の世代に残すべく、自分自身も社員とともに成長し続けていきたいです。

株式会社やぶやグループ 代表取締役社長

横瀬武夫
株式会社やぶやグループ
代表取締役

1965年愛知県生まれ。

小学生のときから新聞配達をし、中学生で喫茶店のバイト、16歳で父親の経営する和牛料理店で働き始める。
ここでの経験から接客とは何か、人生とは何かを学び、29歳で「やぶ屋」をスタート。

名物味噌とんちゃんを名古屋めしとして認知されるまでに広め、ひとつの食文化をつくり上げた。

現在はフランチャイズ化に向けて準備中。

株式会社やぶやグループ

〒450-0002 名古屋市中村区名駅4-20-8 西柳STビル TEL : 052-583-9828

URL : http://www.yabuya.com